米国の地方銀行M&T Bankが、社内向けのAIコパイロットを1万5,000人を超える従業員へ展開しました。用途はコールセンターの通話分析、報告書の下書き、コードの生成、顧客ニーズの掘り起こし、ポートフォリオのリスク検知にまで広がっています。ただし、この銀行の話で見どころなのは展開の速さではありません。生成AIに手を付ける前に、8年かけて技術部門とデータ基盤を作り直していた点です。

出発点は「公開型LLMの禁止」だった

M&T Bankが最初に取った行動は、導入ではなく遮断でした。従業員が公開されている大規模言語モデルに触れられないよう、アクセスを制限したのです。チーフデータオフィサーのAndrew Foster氏は、社外向けのサービスに機密情報を入力してしまう可能性を理由に挙げています。金融機関としては順当な判断です。

そのうえで企業向けの提供元を比較し、Microsoft Copilotを選定しました。いきなり全社へ配るのではなく、まず800人規模の試験導入から始め、そこから対象を広げています。効果として具体的に語られているのは、コールセンターの通話内容を生成AIに要約させることで1件あたり約6分の作業時間を削れたという数字です。開発部門ではGitLabのツールを使ってコードを生成しています。

生成された成果物の正しさに責任を負うのは、あくまで従業員側です。この考え方は2026年版の行動規範にも書き込まれました。承認済みのAIツールだけを使うこと、機密情報や自社の独自情報、顧客情報、従業員情報、規制対象の情報を承認されていないシステムに入力しないことが明記されています。

AIより先に、8年かけて技術部門を作り直した

M&T Bankの生成AI展開は、2018年に始まった技術刷新の延長線上にあります。当時は技術職の半数以上が外部人材でしたが、現在は8割を自社の社員が占めます。技術者は約2,000人、300を超えるアジャイルチームに分かれて動いており、この期間に1,000人以上を採用しました。

古い基盤の入れ替えも同時に進みました。同行の説明では、システム障害は2018年比で8割以上減り、年間に実施するシステム更新の件数は3倍になっています。CIOとして2018年に入行し、2025年から技術と業務の両方を統括する上級執行副社長を務めるWisler氏によれば、年間のリリース回数は2018年の約1万5,000件から2025年には6万5,000件へ増えました。技術関連の支出は2025年に12億ドル(約1,870億円)を超え、2017年のおよそ3倍に達しています。

※1ドル156円換算(2026年9月8日時点)

生成AIを載せる前に、載せる台のほうを作り替えていたという順番です。

データの出どころを追えるようにする

もう1つの下準備がデータ側の整理でした。2023年に入行したFoster氏は、情報がどこで生まれ、どう使われ、システム間をどう移動しているかを追跡するデータリネージの取り組みを立ち上げています。同氏はこれを生成AIへの対応として始めたものではなく、自社のデータ資産を把握するための基礎的な能力だと説明しています。

具体的には、SolidatusとMonte Carloのデータリネージ用ソフトウェアを使い、データベースからアプリケーション、BIツールまでを通る情報の経路を可視化しています。加えて、行内の正式な文書や規程をまとめたEdisonという社内リポジトリを整備しました。取り出したデータを回答生成に使うRAG(検索拡張生成)の対象は、この統制されたデータです。データガバナンスやデータ活用の技能を扱うData Academyには、約2,000人が参加しています。

個々のデータ項目について出どころ、意味、品質、統制状況が見える。この状態を先に作ったうえでCopilotを載せた、という組み立てになります。

3つの道筋と、同業他行の位置

Wisler氏は生成AIへの取り組みを3つの道筋に整理しています。従業員が汎用ツールとして使うもの、既存のアプリケーションに組み込まれた形で提供されるもの、そして自行のデータと業務プロセスに合わせて独自に作るものです。同行は1,800を超えるアプリケーションを運用しており、その多くが外部ベンダー製です。すでに手元のソフトウェアに載っているAI機能を見つけて使う、という2番目の道筋には現実的な狙いがあります。独自開発の側では、繰り返しの多い事務作業、ソフトウェア開発、不正防止、サイバー防御が初期の適用先に挙がっています。

規模の大きい銀行はもっと先を走っています。JPMorganChaseは2024年に社内基盤のLLM Suiteを20万人超へ配り、2025年時点で法人・投資銀行部門の6万5,000人以上が実際に使っている状況です。エンジニアの9割超がAIコーディング支援を利用し、AIによる取引スクリーニングでは従来の2倍を超える件数を確認しながら、人手による確認を半減させたとしています。Bank of Americaは顧客対応向けのEricaAssistを1万8,000人以上の担当者に展開しました。2026年7月の説明では、状況に応じた案内を3秒以内に提示し、平均通話時間を1分近く短縮しています。

M&T Bankは従業員数が約2万2,000人の地方銀行です。絶対数では見劣りしますが、対象範囲の広さで見れば大手と大きく変わらない水準まで来ています。

公表される「利用者数」は数え方に幅がある

ここで一点、数字の読み方に注意が要ります。American Bankerは2025年9月の時点で、約2万2,000人の従業員のうち1万6,000人がすでにMicrosoft Copilotを使っていると報じていました。今回示された数字は1万5,000人超です。1年たって減ったように見えますが、実際には配布したライセンス数、アクセス権を持つ人数、実際に使っている人数のどれを指すかで答えは変わります。

企業の生成AI導入を伝える記事では、この区別が曖昧なまま人数だけが独り歩きしがちです。数字を比べるときは、何を数えたものかをそろえてから見る必要があります。

まとめ

M&T Bankは1万5,000人超の従業員にAIコパイロットを展開し、通話要約では1件あたり約6分を削減しました。ただし、その手前には2018年から続く技術刷新があり、内製比率8割、障害8割減、年間リリース6万5,000件、技術支出12億ドルという実績が積み上がっています。データリネージとEdisonによって、AIに渡すデータの出どころが追える状態も先に作られていました。生成AIの導入事例として学ぶべき点があるとすれば、どのモデルを選んだかではなく、選ぶ前に何を整えていたかのほうだと言えそうです。