AnthropicがイスラエルのAIスタートアップDecartの買収を見送ったと、Bloombergが9月8日に報じました。金額は約60億ドル(約9,200億円)規模とされ、成立していれば同社として過去最大の買収になるはずでした。企業精査まで進んだうえでの離脱で、両社は別の形での協業を探る余地を残しているとも伝えられています。
交渉は8月に表面化し、精査を終えた段階で流れた
報道によると、Anthropicは買収を具体的に検討し、デューデリジェンス(買収前に相手企業の財務や技術を精査する手続き)を完了させたうえで、最終的に手を引きました。関係者の話として、今後も別の形で手を組む可能性は残っているとされています。AnthropicとDecartはいずれもコメントを控えました。
交渉の存在が最初に伝えられたのは8月です。その時点でも金額は約60億ドル規模とされていましたが、何も確定しておらず破談もありうるという条件が付いていました。結果として、その条件のほうが現実になった形です。
※1米ドル=154円換算(2026年9月9日時点)
狙いは世界モデルではなくチップの効率化だった
Decartという社名は世界モデルの文脈で知られています。ただ、今回Anthropicが関心を寄せていたのはそこではなかったとされます。学習と推論の双方で、同じ半導体からより多くの処理を引き出す最適化の技術です。同社は自社サイトで、あらゆるチップから性能を一滴残らず絞り出すと掲げています。
Anthropicにとっての意味は明快です。手持ちの計算資源で受けられる需要が増えるなら、それは新しい製品分野への進出ではなく、顧客にサービスを届けるコストそのものを下げる話になります。今回の案件が製品戦略ではなく原価の話だったと読めるのは、この一点によります。
4か月で5割高、Decartの企業価値
Decartは2023年に、Dean LeitersdorfとOrian Leitersdorfの兄弟、そしてMoshe Shalevの3人が立ち上げた企業です。5月にはRadical Venturesが主導するラウンドで3億ドル(約460億円)を調達し、NVIDIA、Adobe Ventures、Valor Equity Partners、Atreides Managementが参加、既存株主のSequoia Capital、Benchmark、Zeev Venturesも加わりました。The Wall Street Journalによれば、このときの評価額は40億ドル(約6,200億円)近くで、前年8月の31億ドル(約4,800億円)から切り上がっています。
60億ドルという買収額は、その4か月後におよそ5割を上乗せした水準にあたります。短期間での再評価としては小さくない開きです。
もう一つの顔はバーチャル試着と配信
Decartが抱えるもう一方の事業が世界モデルです。テキストと数百万時間規模の映像で学習し、物体がどう振る舞うかを内部に持たせるという方向性で、自動運転からオンライン小売まで応用先が想定されています。
代表例のLucyは、人物のライブ映像を受け取り、その人が実際には着ていない服をまとった高解像度の映像を生成します。ファッション系のEC(電子商取引)が10年ほど解けずにいたバーチャル試着の課題に、正面から取り組むものです。eBayは出資者であり顧客でもあります。CEOのDean Leitersdorf氏は7月にパリで開かれた会議で、この技術がTwitch、TikTok、YouTubeでのライブ配信にも使われていると述べました。チップ効率化の層と世界モデルという、性格の異なる2つの事業を1社で抱えている点が、この会社の特徴と言えます。
上場準備という文脈で見ると
Anthropicがこれまで大型買収に踏み切ったことはほとんどありません。最も大きかった案件でも4億ドル(約620億円)で、対象は10人に満たないチームでした。60億ドルはその15倍にあたります。
しかも同社はいま、計算資源に多額を投じながら株式公開の準備を進めています。準備に関わる人物がBloombergに語ったところでは、SpaceXの記録的な上場に並ぶか、それを上回る規模を想定しているとされます。既存の設備をより長く使えるようにする技術を欲しがるのは、この立場では合理的な発想です。
一方で、上場を目前にして相応のプレミアムを積むのは、新しい株主に説明しづらい判断でもあります。買収していれば費用構造は良く見えたかもしれませんが、買収履歴の規律という点では逆に働きます。交渉を終わらせたのが価格だったのか、精査で見つかった何かだったのかは、現時点の報道からは分かりません。
まとめ
Anthropicは約60億ドル規模でDecartの買収を検討しましたが、企業精査を経て見送りました。狙いは世界モデルではなく、半導体の効率を引き上げる最適化技術だったとされます。注目したいのは、両社が協業の道を残しているとされる点です。技術を買い取るのではなく契約で使うだけなら、同じ目的をより安く達成でき、目論見書で長々と説明する必要もありません。上場準備が進むほど、この選択は現実味を帯びてきそうです。
