Google DeepMindは9月8日、ヒトゲノムで起こりうる1文字単位の変異およそ90億通りについて、分子レベルの影響をあらかじめ計算したデータベース「AlphaGenome Atlas」を公開しました。容量は1ペタバイトで、プログラミングの知識がなくても使えるWeb版のポータルから、学術研究向けに無償で利用できます。
98パーセントの「読めないDNA」に地図を引く
ヒトのDNAはおよそ30億塩基対から成りますが、タンパク質の設計図として機能するのは全体の2パーセントほどです。残る98パーセントは非コード領域と呼ばれ、遺伝子のオンとオフを制御する役割を担いながら、その働きの多くが未解明のまま残されてきました。病気や体質と結び付く変異の大半がこの領域に存在すると考えられており、解釈の難しさが研究のボトルネックになっていました。
Google DeepMindは2025年6月に、DNA配列から遺伝子発現やスプライシング、クロマチンの開き具合といった分子レベルの挙動を予測するAIモデル「AlphaGenome」を公開しています。ただし個別の変異を1件ずつ問い合わせる使い方が中心で、ゲノム全体を俯瞰する視点は得られませんでした。90億通りの変異を実験室で1つずつ検証するのは現実的ではありません。そこで同社は、AlphaGenomeの予測をゲノム全域で先回りして計算し、検索できる形にまとめたわけです。
変異の重要度を1つの数値に落とすAVIスコア
Atlasの中核となるのが、新たに導入されたAlphaGenome Variant Impact(AVI)スコアです。非コード領域を担当するAlphaGenomeと、タンパク質を変える変異を評価するAlphaMissenseの予測を統合し、1つの数値として提示します。コード領域と非コード領域のどちらにも同じ物差しを当てられるため、数千件の候補から影響の大きそうな変異を素早く絞り込めます。
スコアの内訳も確認できます。AVIは、クロマチンの開き具合、スプライシング、配列の保存性といった解釈しやすいカテゴリーごとの寄与に分解されており、なぜその変異が重要と判断されたのかを追えます。加えて、ゲノム上で繰り返し現れる2,500種類以上の配列モチーフとその位置情報も収録されました。変異1件あたりの分子レベル予測は、ヒトとマウスの数百種類の細胞・組織にわたります。
容量はAlphaFold Databaseの30倍
1ペタバイトという規模は、同社のタンパク質立体構造データベースであるAlphaFold Databaseの30倍以上にあたります。AlphaFold Databaseは2022年の拡張で、実験由来の約19万構造から2億件を超える予測構造へと一気に広がり、コードを書けない研究者でも扱えるポータルとして生命科学の共通基盤になりました。AlphaGenome Atlasも、その成功をゲノム側で再現しようという狙いが読み取れます。
希少疾患とUK Biobankで先行して成果
外部の共同研究者による検証も同時に示されました。米Broad InstituteのLaura Covill氏らのチームは、GREGoR Consortiumの未解決の希少疾患研究でAVIスコアを使い、それまで見落とされていた候補を優先順位付けしました。浮かび上がったのはDNM1という遺伝子の変異で、誤ったスプライス部位を作り出してタンパク質を異常に延長させると予測されます。DNM1はてんかん性脳症との関連が強い遺伝子で、実験による検証でも予測が裏付けられました。
英国のエクセター大学(University of Exeter)に所属するGareth Hawkes氏は、UK Biobankの5万4,000人超の全ゲノムデータにAtlasを適用しました。まれな変異を予測される分子的な影響ごとにグループ化したところ、統計的なノイズに埋もれていた非コード領域の関連を22パーセント多く検出できたとしています。老化と関連するPLA2G7や、細胞の酸素センサーとして働くEGLN1といったタンパク質の量を左右する制御変異も特定されました。さらに影響が大きいと予測された上位1パーセントの非コード変異に絞ると、体格指数(BMI)と結び付く19のゲノム領域が浮かび上がっています。
米Stowers Institute for Medical ResearchのJulia Zeitlinger氏らは、モチーフの情報を使い、DNAの開き具合だけに作用する転写因子と、遺伝子のオンとオフまで切り替える転写因子を区別する分類に取り組みました。
提供形態と注意点
AlphaGenome Atlasは、Webポータルに加えてAlphaGenome APIから利用でき、同社のエージェント型開発環境であるGoogle Antigravityのスキルとしても呼び出せます。Webからの利用は非商用が対象で、商用向けにはGoogle Cloud経由での提供が予定されています。基盤となるAlphaGenome本体は学術利用向けにGitHubで公開済みで、商用はCloudのModel Garden経由となります。
なお同社は、Atlasが提供する情報は医学的な助言や診断、治療の代わりにはならず、AlphaGenomeは臨床用途での検証も承認も受けていないと明記しています。あくまで研究の優先順位付けを速める道具であり、予測がそのまま結論になるわけではない点は押さえておきたいところです。
まとめ
Google DeepMindは、ヒトゲノムで起こりうる90億通りの1塩基変異について分子レベルの影響を事前計算した1ペタバイトのデータベース「AlphaGenome Atlas」を公開しました。コード領域と非コード領域を同じ物差しで比べられるAVIスコアにより、膨大な候補から重要な変異を素早く絞り込めます。希少疾患の原因究明やUK Biobankの解析ではすでに具体的な成果が出ており、実験で確かめる前の当たりを付ける工程が大きく短縮されそうです。
※サムネイル画像はAI生成のイメージです
