Ciscoが、従業員1人ずつに専用のAIエージェント「MyAgent」を配る取り組みを始めました。質問に答えるチャットではなく、目的を伝えると複数の業務アプリをまたいで手順を組み立て、人の監督のもとで実行まで進めるのが特徴です。対象は全社員およそ9万人。7月末に始まった新しい会計年度に合わせた社内展開で、AIを試す段階から日常業務へ組み込む段階に踏み出した企業の実例として注目されています。

「聞く」から「任せる」へ移った社内AI

MyAgentは、Ciscoが社内に敷いているAI基盤「Circuit」の上で動きます。Circuitは特定のモデルに縛られない構成で、承認されたLLM、エージェント、社内データへのアクセスを統制した形で提供する仕組みです。従業員が勝手に外部サービスへ業務データを渡す状況を避けつつ、AIを全社の共通機能として運用するための土台にあたります。

その上に載るMyAgentは、Outlook、Webex、Jira、SharePointといった日常的に使うアプリをまたいで動きます。動作の起点になるのはインテント、つまり意図です。従業員が目的と文脈、そして望む結果を渡すと、MyAgent側がそこへ到達するための手順を組み立てます。1つの操作を代行するのではなく、複数のシステムにまたがる段取りごと引き受ける設計です。

もう1つの柱が記憶です。MyAgentは利用者の好み、過去のやり取り、その時々の文脈を保持し続けます。毎回ゼロから説明し直す必要が減り、担当している案件の経緯を踏まえた提案が返ってくる。この継続性が、単発のチャットとの実用上の差になります。

社内での下地はすでにできていました。Ciscoの説明によれば、Circuit上でのエージェント的な利用は四半期ベースで約350パーセント増えています。全社配布はその延長線上にある判断です。

コストを決めるのは、どのモデルに振るか

技術面で目を引くのは規模よりも構成です。MyAgentは、すべての依頼を最高性能のモデルに投げるわけではありません。依頼の内容ごとに、そのタスクで最も費用対効果の高いモデルへ振り分けるルーティング層を挟んでいます。

社内規定を確認するだけの軽い問い合わせは軽量なモデルへ、複雑な財務分析はより能力の高いモデルへ。処理の中身に応じて宛先を変えることで、同じ仕事量でも請求額が変わります。さらにCiscoは、インフラの多くをオンプレミスで動かす選択をしました。コストとデータの管理を自社の手元に置くためです。

これは、いま多くの組織が採っている進め方とは逆向きです。とりあえず使える中で一番強いモデルを指定し、請求は後で考える。その運用は台数が少ないうちは成り立ちますが、9万人規模になると成立しません。Ciscoは最初から、技術の実験ではなく運用の問題として組み立てています。

最初の実験台になったのは財務部門

社内展開の証明役を引き受けたのは、CFOのMark Patterson氏が率いる財務部門でした。自分の部署を最初に試すことで、何が効いて何が効かないかを直接把握できます。

すでに成果も出ています。米国の法定開示書類に含まれるMD&A、つまり経営陣による財務状況の説明部分について、初稿の80から90パーセントをAIが作成しています。従来はアナリストが数日かけていた作業が数分に縮み、人間は白紙から書き起こすのではなく、確認と仕上げに回るようになりました。

Patterson氏はさらに、CFOコックピットと呼ぶダッシュボードの構築を進めています。全社に散らばる業績データを1つの画面に統合し、次に取るべき打ち手まで提示させる構想です。報告書を速く量産することではなく、意思決定そのものを支えることに軸足を置いている点が、この取り組みの狙いをよく表しています。

9万人への配布と、4,000人未満の削減

同時に見ておくべき事実もあります。Ciscoは2026年5月、全社員の5パーセント未満にあたる4,000人未満の人員削減を従業員に通知しました。AIインフラへの投資を厚くするための再編の一環です。

9万人にAIエージェントを配りながら、4,000人分の役割を減らす。この2つが並行しているのは偶然ではなく、同じ方向を向いた動きです。AIが安定して処理できる作業は自動化へ回し、人は判断が必要な仕事へ振り向ける。多くの企業が今年、静かに進めている調整を、Ciscoは同じタイミングで公表する形で扱いました。

Cisco側はこの構図を、human-in-the-loop(人が輪の中にいる)からhuman-in-control(人が制御を握る)への移行と説明しています。従業員が意図を決め、判断を下し、結果に責任を持つ。AIが担うのは速度と効率と集中の確保であって、責任の肩代わりではないという整理です。

その前提を支えるのがガバナンスです。MyAgentがアクセスできるのは承認されたモデル、承認されたシステム、業務上妥当と認められたデータ経路に限られます。AIが提案を返すだけの段階なら多少の緩さも許容されますが、実際にワークフローの中で行動を起こす段階では、設計と統制の重みが増します。

実際に効くのはどこか

MyAgentが示しているのは、全社員に配ることそのものよりも、配れる状態をどう作ったかという部分です。承認済みモデルと社内データを束ねる基盤、タスクに応じてモデルを選ぶルーティング層、記憶を保持する仕組み、そして何にアクセスさせるかを決める統制。この4つが揃って初めて、9万人規模の運用が現実的になります。

裏を返せば、この4つのどれかが欠けたまま人数だけ増やすと、コストか安全性のどちらかで行き詰まります。部門ごとの試験導入が社内標準へ育たない例が多いのは、たいていこの部分が手つかずのままだからです。

まとめ

Ciscoは9万人の全従業員に、業務アプリをまたいで実行まで担う個人専用AIエージェント「MyAgent」の展開を始めました。承認済みモデルと社内データを統制する基盤Circuitの上に構築し、タスクごとに最適なモデルへ振り分けるルーティングとオンプレミス中心の構成でコストを抑えています。財務部門ではMD&A初稿の8割以上をAIが作る段階に達しました。一方で4,000人未満の人員削減も同時に進んでおり、企業内AIの全社展開が何をもたらすのかを測る材料としても、この事例は追いかける価値があります。